このままでは、世の中から本物のお酢が消えてしまう
戦後の日本には、食糧難を背景に「酸っぱければいい」と、ただ酸っぱいだけで味や旨みが無いお酢があふれていました。戦前生まれである父・案浦瀧男(あんのうら たきお)は、「昔のお酢は美味しかった。この美味しさを残せるのは、その頃の味を知っている自分たちの代しかいない」と考え、学生時代に学んだ醸造学を基にいろいろな試作を行っていました。
地元の柿を使った、特産品を開発したい
ちょうどそのころ、瀧男は福岡県の柿生産組合から「柿の加工品ができないか」との相談を受けました。瀧男は色々な加工品を思案した結果、「柿酢」に着目しました。柿酢は柿農家を中心に民間薬としてつくられていたものの、まだ一般には流通していませんでした。
早速、瀧男は柿酢の試作を重ね、組合へ提案しました。
この結果、組合より製造を依頼されることになり、昭和56年に九州酢造の前身となる「福岡柿酢発酵」を設立、柿酢の製造を始めました。このようにして、弊社が日本で初めて柿酢を商品化したのです。その後、柿酢は福岡県からも特産品として認めて頂きました。
日本初となる「柿酢」が誕生して約40年
今では日本全国の主要な柿の生産地を中心に柿酢が製造販売されており、徐々に認知されるようになりました。昨今では柿に豊富に含まれるビタミン、タンニンなどの機能性が注目され、調味料としてだけではなく健康飲料としてご愛用いただく方も増えております。
これからも伝統製法の継承と醸造技術の研鑽に努め、より美味しく、体に良いお酢造り続けていきたいと考えております。
二代目酢造り職人 案浦 龍己